三五八のこと
緋色はすべてのパンに「三五八」という発酵調味料が入っています。あまり耳馴染みのない名前かもしれません。けれど緋色のパンの味を支えている、いちばん静かな立役者です。
東北の、家庭の漬け床
三五八は、東北地方に古くから伝わる麹の漬け床です。塩・米麹・米を「三・五・八」の割合で合わせることから、この名で呼ばれてきました。
福島、山形、秋田あたりの家庭で、魚や肉、きゅうりや大根を漬け込む床として受け継がれてきたもの。冷蔵庫のなかった時代に、麹の力で食材を保存し、同時においしくする——そういう暮らしの知恵から生まれた調味料です。
塩麹と似ているけれど、違うもの
近年よく知られるようになった塩麹と、三五八はよく似ています。どちらも米麹と塩からできていて、食材を柔らかくし、旨味を引き出す働きを持っています。
大きな違いは、三五八には「米」が入ること。塩麹が米麹と塩だけで作られるのに対して、三五八には炊いた米が加わります。
米のでんぷんが麹の糖化によって甘みに変わるため、塩麹よりも味に丸みと厚みが出ます。塩麹が「調味料」だとすれば、三五八は「床」——生きたまま育てていくもの、という感覚に近いかもしれません。
なぜ、パンに入れるのか
三五八をパン生地に少量加えると、麹の持つ酵素がゆっくりと働きはじめます。
でんぷんはアミラーゼによって糖に、たんぱく質はプロテアーゼによってアミノ酸に。長い時間をかけて分解が進むことで、生地のなかに自然な甘みと旨味が生まれます。焼き上がりに濃く香ばしい焼き色がつくのも、この糖のおかげです。
そして分解が進んだぶん、食べたときの体への負担もやわらぎます。噛むほどに味が出る、けれど後に重く残らない。緋色のパンが目指しているのは、そういう食べ心地です。
味そのものは、決して派手ではありません。三五八の味がする、というパンではないのです。ただ「なんだか奥行きがあるな」と感じていただけたら、それはたぶん、三五八の仕事です。
緋色の三五八
緋色では、三五八も自分たちで仕込んでいます。
ご飯と米麹を合わせて糖化させ、塩を加える——手順そのものは、東北の家庭で受け継がれてきたものと変わりません。ただ緋色では、パンに加えることを前提に、独自の比率で配合を組み直しています。日々の仕込みで安定した味を出すためです。
仕込んだ三五八は、時間をかけて熟成させます。日が経つほどに角がとれ、甘みが増していく。パンのルヴァンと同じように、こちらも生きて変化しつづける存在です。
三つの発酵
土のなかで微生物が有機物を分解し、畑の土を育てる。
小麦が育ち、粉になり、ルヴァンの菌が生地を膨らませる。
そして麹が、パンに旨味と甘みを織り込んでいく。
薪窯の火に入るまでに、緋色のパンはいくつもの発酵をくぐり抜けています。三五八は、その循環にあとから加わった、東北からの小さな仲間です。